日本のカトリック教会の皆様
教皇フランシスコの逝去に際して
敬愛する牧者であった教皇フランシスコは、ローマ現地時間4月21日7時35分(日本時間4月21日14時35分)、88年にわたる人生の旅路を終え、御父のもとへと旅立たれました。わたしたちは愛といつくしみに満ちた力強い牧者を失いました。
初めての南米出身の教皇として、2013年から十年以上にわたり、これまで手をつけられることのなかったバチカンの機構改革や、第二バチカン公会議の成果を踏まえた教会のシノドス性の推進など、力強く教会を導かれた教皇フランシスコの逝去に際して、深い悲しみのうちに、わたしたちの希望の源である御父のもとでの永遠の安息を心よりお祈りいたします。
1936年12月にホルヘ・マリオ・ベルゴリオとしてアルゼンチンで誕生された教皇フランシスコは、イエズス会員として、1969年に司祭に叙階されました。叙階後はイエズス会の養成指導者として、修練長や神学院院長などを務め、1973年から6年間は、イエズス会アルゼンチン管区長を務められました。
1992年5月20日、教皇ヨハネ・パウロ二世からブエノスアイレス補佐司教に任命され、同年6月27日に司教叙階、1997年6月3日にブエノスアイレス協働大司教となり、1998年2月28日から同教区大司教となりました。2001年2月21日には教皇ヨハネ・パウロ二世から枢機卿に叙任され、2005年から2011年までの6年間は、アルゼンチン司教協議会会長も務められました。
ベネディクト16世の引退を受けて行われたコンクラーベ(教皇選挙)において第266代教皇に選出された教皇フランシスコは、イエズス会会員として初めての教皇であり、七十六歳という年齢で選出されたにもかかわらず、力強く明確なリーダーシップをもって、第二バチカン公会議が目指した教会の改革を徹底することを目指されました。
2013年11月には使徒的勧告「福音の喜び」を発表され、誰ひとりとして排除されない喜びに満ちあふれた教会の姿を目指す姿勢を明確に打ち出されました。その後、2015年5月には、回勅「ラウダート・シ」を発表され、共通の家である地球を守るために全世界の人々と協力しながら取り組むべき課題を明確にし、教会の進むべき方向性を示されました。
さらには第十六回世界代表司教会議(シノドス)を招集され、教会のシノドス性について、司教だけではなく、教会全体の声に耳を傾けるために、2021年から始まり2024年までの時間をかけて、教会全体がシノドス的な教会となる道を歩むように導かれました。互いに耳を傾け、誰も排除することなく、互いに支え合い、祈り合いながら、聖霊の導きを識別する教会は、これからの教会共同体の姿の指針です。
教皇フランシスコは2019年に訪日され、長崎、広島、東京において多くの方々と出会う中で、世界に向けて核兵器廃絶による平和の確立と、すべてのいのちを守ることの重要性を力強く発信されました。日本の教会にとって、まさしく、わたしたちの牧者の存在を肌で感じる体験でした。あのときわたしたちは、教皇様の声に直接触れ、霊的に燃え上がっていました。
日本の司教団は、2015年と2024年の二度にわたり使徒座定期訪問(アドリミナ)でローマを訪れ、教皇フランシスコと直接意見を交換する機会をいただきました。このときに体験した、権威に基づいて命じるのではなく、耳を傾けともに歩もうとする教皇フランシスコの姿勢に、わたしたちは多くを学びました。
2020年以降の世界的な感染症によるいのちの危機や、頻発する戦争や武力紛争は、世界から寛容さを奪い去り、暴力や絶望が力を持つようになりました。その現実に対して教皇フランシスコは、2025年聖年のテーマとして「希望の巡礼者」を掲げ、ともに助け合いながら歩むことで教会が世界に対して、キリストにおける希望をあかしする存在となるように求められました。
まさしく聖年の歩みを続けているこのときに、力強い牧者を失うことは、教会にとって大きな痛手です。
教皇フランシスコの逝去にあたり、これまでの長年にわたる教会への貢献と牧者としての導きに感謝し、御父の懐にあって豊かな報いをうけられますように、永遠の安息を共にお祈りいたしましょう。
2025年4月21日
日本カトリック司教協議会 会長
カトリック東京大司教区 大司教
枢機卿 菊地功
安里教会に教皇様のため、祈りのスペースを設けてあります。

教皇フランシスコ帰天
バチカンは21日、ローマ教皇フランシスコが死去したと発表しました。88歳でした。
教皇様のためお祈りいたしましょう!

2025年復活祭メッセージ
「キリストの復活は希望の光、救いの道!」
ご復活おめでとうございます。今年も私たち教会共同体は、新たな兄弟姉妹を迎えた喜びに満ち溢れ、キリストの神秘体の成長に歓喜の声を上げています。受洗者の皆さん、心からお慶びを申し上げます。
復活された主イエスは、すべての受洗者の心にこのようなメッセージを語りかけていると感じています。
「わたしは、いつもあなたのことを見つめています。あなたのすべて、こころの隅々まで理解しています。髪の毛の数さえ数えるほどにあなたは私にとって大切な人なのです。あなたの過ごしてきた年月を私は共に過ごして来ました。一瞬も離れることなく、あなたに寄り添っていたのです。喜ぶあなたを見て喜び、悲しむあなたのそばで泣き、苦しむあなたの苦しみを共にし、傷つくあなたに涙し、悪さや罪に苛まれているあなたの咎をこの身で引き受け、あなたがいのちを失うとき、私がその死と苦しみを引取ります。あなたが心の奥底で何に悩み、何を求めているのかを知っています。あなた自身も気づいていない心の渇きをもわたしが潤します。わたしの愛を受けとってください。」
わたしたちすべての受洗者は、このようなイエス様の最高の愛を受けとるために、洗礼の恵みをいただきました。そして、その愛に生かされ続けています。
復活の主に出会ったときのことを今一度想像し、思い起こしましょう。幼児洗礼であれ成人洗礼であれ、ひとり一人の受洗は、その一つ一つが復活の主イエスとの出会いの場、主との愛における一致の実現です。その出会いと一致によって私たちは主の復活のいのちに与かり、もはや失われることのない永遠のいのちに生きる者となったのです。ですから、目に見えている自分の姿は、老いや病、過ちや罪、不誠実や虚飾などによって愛といのちの危機に瀕しているかのように見えても、決して滅び去ることはないのです。わたしの弱さの中にこそ、復活の主の愛の力は発揮されるからです。
私たち受洗者にとって、最も大切なお方の姿を見失ってはいけません。主イエスが十字架の苦難と死の暗闇を通って復活し、新たないのちに輝たように、私たちは常に新たないのちの輝きを身にまとう者となっているのです。なぜなら私たちひとり一人がキリストの神秘体なのですから。
洗礼によってキリストの死と復活にあずかった私たちは、聖パウロと一緒にこのような信仰宣言ができるでしょう。「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。」(ガラテヤ2:20)。
さあ、また、希望をもって新たに歩み始めましょう。常に新たにされるキリストのからだに属する者としての歩みを、復活の主の美しさを身に帯びた者としての歩みを、御父への道を、希望のうちに。
お告げの祈り
主のみ使いのお告げを受けて、
マリアは聖霊によって神の御子を宿された。
〔アヴェ・マリアの祈り〕
アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、
主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、
ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母聖マリア、
わたしたち罪びとのために、
今も、死を迎える時も、お祈りください。
アーメン。
わたしは主のはしため、
おことばどおりになりますように。
(引き続き、上記の〔アヴェ・マリアの祈り〕を唱えます。)
みことばは人となり、
わたしたちのうちに住まわれた。
(ここでも〔アヴェ・マリアの祈り〕を唱えます。)
神の母聖マリア、わたしたちのために祈ってください。
キリストの約束にかなうものとなりますように。
祈願
神よ、み使いのお告げによって、御子が人となられたことを
知ったわたしたちが、キリストの受難と十字架をとおして、
復活の栄光に達することができるよう、恵みを注いでください。
わたしたちの主イエス・キリストによって。 アーメン。