沖縄 慰霊の日 カトリック那覇教区第39回平和巡礼
2025年6月23日(月)
巡礼コース
小禄教会で、午前6時からミサを行い、小禄から魂魄の塔まで巡礼します。
巡礼コースは都合に合わせて途中からでも参加できます。(全行程15km)
6:00 早朝ミサ 小禄教会聖堂
7:00 出発(ご案内・挨拶・祝福など)
8:10 集合(証言と祈り)翁長コンビニ前
8:30 出発
9:40 集合(証言と祈り)グループホーム千寿前
10:00 出発
11:00 集合(証言と祈り)ひめゆり会館駐車場
11:20 出発
11:50 集合(平和の集い・司教メッセージ)魂魄の塔
12:30 解散
※ 多少時間がずれることが予想されます。
※ 解散後の帰路は各自で確保をお願いします。

2025年 沖縄慰霊の日 司教メッセージ ウェイン・バーント司教
『沖縄を戦場から非武装中立平和特区へ』
今年はアジア太平洋戦争終結80周年の節目の年です。この日、沖縄とアジア各地で亡くなったすべての犠牲者の永遠の安らぎを祈り求めます。
ここ沖縄では、敗戦から80年間、何度も繰り返されてきた「二度と繰り返さない!」「二度と繰り返させない!」という言葉が、いまだに繰り返し叫ばれ続けています。
沖縄は、「ありったけの地獄を集めた」と言われる戦場のありとあらゆる醜さや残忍さ、人間性の喪失、あらゆるものの破壊の体験から、戦争の愚かさ、かけがえのない命の尊さ、そしてすべてのものに命を分け与える自然の尊さを学びました。このことから、私たちはすべての戦争を完全に否定し、拒否する方法を求め続けてきました。
しかし、こうした沖縄の願いとは裏腹に、近隣諸国の脅威を理由に、再び戦争への備えを強いられ、戦闘終結後も続く軍事に伴うあらゆる人権侵害と人間の尊厳を踏みにじる行為に
いまだにさらされ続けています。特に最近は、強引な要塞化が県全体におよび、自国とその同盟国によって自治権が侵害され、再び戦場とされるのを拒む沖縄の民意と人権そのものが無視されているのです。
私たちがこの「慰霊の日」を設け、すべての戦争の犠牲者を追悼するのは、単に追悼儀式としてではなく、犠牲とされた命の苦しみと悲しみを二度と繰り返さないため、そして、亡くなった人々の無念と悔悟、苦悩や悲痛に応えて、不戦の誓いを新たにし、真の平和を希求するためです。
カトリック那覇教区は、不戦の誓いを果たし、自治権の完全な回復を実現する具体的な手段として、沖縄が非武装中立平和特区となることをここに提案します。これにより軍事基地に起因するすべての人権侵害と軍備の拒否を成し遂げ、もう二度と、武装しない
させないことで、沖縄が誰とも敵対することなく、すべての人と友愛関係を築き、相互交流の拠点、相互扶助の社会、人と自然の共生の場、いにしえからの理想である万国を結ぶ懸け橋『万国津梁』を実現することができるのです。大国間の覇権争いや敵対関係に巻き込まれることなく、どの国の人とも仲睦まじく、平和に生きてゆけるのです。
この提案を単なる夢物語と切り捨て、あざ笑う人がいるかもしれません。でも、これはわたし一人の考えではありません。これは、あまりにも残忍で汚辱にまみれた戦争の体験から、「二度とこのような思いを誰にもさせてはならない。」と願うすべての戦争犠牲者と戦争体験者の切実な思いであり、また、すべての生命とこの世界が、創造主から託された賜物だと信じる人々の願いでもあります。私たちはこれを信じ、目指すべき道だと確信します。
慈しみ溢れる父よ、この沖縄の地、またアジア各地、そして全世界の戦争犠牲者をかえりみてください。彼らの無念と悔悟をあなたの愛で癒し、慰めてください。その切なる願いを聞き入れ、今を生きるわたしたちに、彼らの悲願である愛と平和な世界を実現する使命をまっとうさせてください。
全人類の苦悩と死をその身にお引き受けになった御子イエスよ、互いに敵対する私たちを憐れんでください。徹底した非暴力をつらぬき、あらゆる悪意に対立することなくすべてを包み込んだあなたの愛を信じます。その愛と非暴力の道を歩ませてください。決して諦めることなく、沖縄をあなたの愛と非暴力の交わる場とすることができますように。
いのちの泉である聖霊よ、父と子の愛の溢れ出であるあなたご自身でこの世界を満たしてください。被造界への畏敬を呼び覚まし、その恵みを正しく分かち合わせてください。収奪のない、分かち合いの世界を目指し、すべてのものが満たされた地上の平和を実現できるよう、私たちを駆り立ててください。
わたしたちの主イエス・キリストによって アーメン。
2025 Okinawa Memorial Day Message
Bishop Wayne Berndt OFM Cap.
"Okinawa ~ From a Battlefield to a Neutral and Demilitarized Zone
of Peace"
This year marks the 80th anniversary of the end of the Asia-Pacific War.
On this day, we pray for the eternal rest of all the victims who died in
Okinawa and throughout Asia.
Since the defeat of Japan in the war 80 years ago, the words: "Never
again!" has been repeated, “over and over again,” in Okinawa. From
the experience of war in all its ugliness and brutality; from the loss
of human dignity and the destruction of everything in Okinawa during the
war; the battle of Okinawa came to be remembered as, “an unleashing of
all the forces of hell”. From all this, Okinawans have learned the utter
insanity of war, that irreplaceable life is a treasure, and about the preciousness
of live-giving nature. For this reason, we have continued to deny any need
for war and have categorically rejected all wars.
However, contrary to the wishes of the people of Okinawa, the threat of
neighboring countries has forced the Japanese government to use Okinawa
once again in their perceived need to prepare for a future war. Because
of this reasoning, Okinawa continues to be subjected to all kinds of human
rights violations and acts that trample on human dignity that accompany
the presence of a foreign military force on the islands. In recent times,
the entire prefecture has been forcibly fortified by our country and its
allies, and the people of Okinawa have had their autonomy and human rights
violated, as their desire to not allow Okinawa to be turned into a battlefield
again has been completely ignored.
The reason we have established this Memorial Day to pray for all the victims
of war is not simply to have a commemoration ceremony, but to ensure that
we will never again experience war in Okinawa. On this day, we want to
feel once again the pain and sorrow of the lives that were sacrificed.
We want to respond to the regret, remorse, anguish and grief of those who
died, by renewing our vow not to wage war again by aspiring for true peace
for us and for our children now.
The Catholic Diocese of Naha hereby proposes that Okinawa become a demilitarized,
neutral, and special peace zone as a concrete means of fulfilling our vow
not to wage war again through the complete restoration of local autonomy.
To achieve this goal, we propose that an autonomous Okinawa reject having
armaments and the hosting of military bases. Military bases mean human
rights violations and having armaments means preparations for war. Local
autonomy will allow Okinawans to make their own decisions on these matters.
By never arming again, Okinawa will be able to build friendly relationships
with everyone without being hostile to anyone. It will become the basis
for mutual exchanges and the giving of mutual aid. Okinawa will become
a place for the peaceful coexistence of humanity with nature. Okinawa will
once again become a bridge connecting all nations; the restoration of the
ancient ideal of Okinawa as a "Bridge to Nations." We can live
in harmony and peace with people from all countries without getting caught
up in the struggle for hegemony or hostility between the great powers.
Some may dismiss this proposal as a mere dream and ridicule it. But this
is not my own opinion. This is the earnest wish of all war victims and
war survivors who, having experienced a war that was so brutal and humiliating,
wish that "no one should ever have to go through such a thing again."
It is also the wish of those who believe that all life and this world are
gifts entrusted to us by the Creator. We believe this, and we are convinced
that this is the path we must pursue.
Gracious Father, please look upon the victims of war in Okinawa, all over
Asia, and all over the world. Please heal their souls and comfort them
in their regret and remorse with your love. Hear their heartfelt pleas
and allow us, who live in the present, to fulfill their fervent desire
to realize a world of love and peace.
Jesus, your Son, who took upon himself the suffering and death of all humanity,
have mercy on us who are enemies of one another. We believe in your love
that is nonviolent and embraces everyone and everything without malice
of any kind. Let us walk the path of love and nonviolence. May we never
give up and make Okinawa a place where your love and nonviolence come together
in harmony.
Holy Spirit, fountain of life, fill this world with yourself, and with
an outflowing of the love of the Father and the Son. Awaken our reverence
for the created world and allow us to share its blessings properly. Lead
us to strive for a world of sharing without exploitation and to realize
peace on earth where all life is honored and blessed.
Through our Lord Jesus Christ, Amen. (Irei no Hi June 23, 2025 Memorial
Day)
新教皇にレオ14世を選出

5月8日(木)午後6時9分(日本時間9日午前1時9分)、システィーナ礼拝堂の煙突から教皇選出を告げる白い煙が上がり、サンピエトロ大聖堂の鐘が鳴らされました。
コンクラーベ開始2日目、午後の1回目(最初から数えて4回目)の投票による選出でした。
午後7時13分(日本時間9日午前2時13分)、サンピエトロ大聖堂バルコニーに助祭枢機卿のドミニク・マンベルティ枢機卿が現れ、新教皇選出を告げました。
その後、午後7時23分(日本時間9日午前2時23分)ロバート・フランシス・プレヴォスト枢機卿(初の北米大陸出身の教皇)が現れました。
新教皇はレオ14世(LeoXIV)を名乗られました。
日本のカトリック教会の皆様
教皇フランシスコの逝去に際して
敬愛する牧者であった教皇フランシスコは、ローマ現地時間4月21日7時35分(日本時間4月21日14時35分)、88年にわたる人生の旅路を終え、御父のもとへと旅立たれました。わたしたちは愛といつくしみに満ちた力強い牧者を失いました。
初めての南米出身の教皇として、2013年から十年以上にわたり、これまで手をつけられることのなかったバチカンの機構改革や、第二バチカン公会議の成果を踏まえた教会のシノドス性の推進など、力強く教会を導かれた教皇フランシスコの逝去に際して、深い悲しみのうちに、わたしたちの希望の源である御父のもとでの永遠の安息を心よりお祈りいたします。
1936年12月にホルヘ・マリオ・ベルゴリオとしてアルゼンチンで誕生された教皇フランシスコは、イエズス会員として、1969年に司祭に叙階されました。叙階後はイエズス会の養成指導者として、修練長や神学院院長などを務め、1973年から6年間は、イエズス会アルゼンチン管区長を務められました。
1992年5月20日、教皇ヨハネ・パウロ二世からブエノスアイレス補佐司教に任命され、同年6月27日に司教叙階、1997年6月3日にブエノスアイレス協働大司教となり、1998年2月28日から同教区大司教となりました。2001年2月21日には教皇ヨハネ・パウロ二世から枢機卿に叙任され、2005年から2011年までの6年間は、アルゼンチン司教協議会会長も務められました。
ベネディクト16世の引退を受けて行われたコンクラーベ(教皇選挙)において第266代教皇に選出された教皇フランシスコは、イエズス会会員として初めての教皇であり、七十六歳という年齢で選出されたにもかかわらず、力強く明確なリーダーシップをもって、第二バチカン公会議が目指した教会の改革を徹底することを目指されました。
2013年11月には使徒的勧告「福音の喜び」を発表され、誰ひとりとして排除されない喜びに満ちあふれた教会の姿を目指す姿勢を明確に打ち出されました。その後、2015年5月には、回勅「ラウダート・シ」を発表され、共通の家である地球を守るために全世界の人々と協力しながら取り組むべき課題を明確にし、教会の進むべき方向性を示されました。
さらには第十六回世界代表司教会議(シノドス)を招集され、教会のシノドス性について、司教だけではなく、教会全体の声に耳を傾けるために、2021年から始まり2024年までの時間をかけて、教会全体がシノドス的な教会となる道を歩むように導かれました。互いに耳を傾け、誰も排除することなく、互いに支え合い、祈り合いながら、聖霊の導きを識別する教会は、これからの教会共同体の姿の指針です。
教皇フランシスコは2019年に訪日され、長崎、広島、東京において多くの方々と出会う中で、世界に向けて核兵器廃絶による平和の確立と、すべてのいのちを守ることの重要性を力強く発信されました。日本の教会にとって、まさしく、わたしたちの牧者の存在を肌で感じる体験でした。あのときわたしたちは、教皇様の声に直接触れ、霊的に燃え上がっていました。
日本の司教団は、2015年と2024年の二度にわたり使徒座定期訪問(アドリミナ)でローマを訪れ、教皇フランシスコと直接意見を交換する機会をいただきました。このときに体験した、権威に基づいて命じるのではなく、耳を傾けともに歩もうとする教皇フランシスコの姿勢に、わたしたちは多くを学びました。
2020年以降の世界的な感染症によるいのちの危機や、頻発する戦争や武力紛争は、世界から寛容さを奪い去り、暴力や絶望が力を持つようになりました。その現実に対して教皇フランシスコは、2025年聖年のテーマとして「希望の巡礼者」を掲げ、ともに助け合いながら歩むことで教会が世界に対して、キリストにおける希望をあかしする存在となるように求められました。
まさしく聖年の歩みを続けているこのときに、力強い牧者を失うことは、教会にとって大きな痛手です。
教皇フランシスコの逝去にあたり、これまでの長年にわたる教会への貢献と牧者としての導きに感謝し、御父の懐にあって豊かな報いをうけられますように、永遠の安息を共にお祈りいたしましょう。
2025年4月21日
日本カトリック司教協議会 会長
カトリック東京大司教区 大司教
枢機卿 菊地功
安里教会に教皇様のため、祈りのスペースを設けてあります。

教皇フランシスコ帰天
バチカンは21日、ローマ教皇フランシスコが死去したと発表しました。88歳でした。
教皇様のためお祈りいたしましょう!

2025年復活祭メッセージ
「キリストの復活は希望の光、救いの道!」
ご復活おめでとうございます。今年も私たち教会共同体は、新たな兄弟姉妹を迎えた喜びに満ち溢れ、キリストの神秘体の成長に歓喜の声を上げています。受洗者の皆さん、心からお慶びを申し上げます。
復活された主イエスは、すべての受洗者の心にこのようなメッセージを語りかけていると感じています。
「わたしは、いつもあなたのことを見つめています。あなたのすべて、こころの隅々まで理解しています。髪の毛の数さえ数えるほどにあなたは私にとって大切な人なのです。あなたの過ごしてきた年月を私は共に過ごして来ました。一瞬も離れることなく、あなたに寄り添っていたのです。喜ぶあなたを見て喜び、悲しむあなたのそばで泣き、苦しむあなたの苦しみを共にし、傷つくあなたに涙し、悪さや罪に苛まれているあなたの咎をこの身で引き受け、あなたがいのちを失うとき、私がその死と苦しみを引取ります。あなたが心の奥底で何に悩み、何を求めているのかを知っています。あなた自身も気づいていない心の渇きをもわたしが潤します。わたしの愛を受けとってください。」
わたしたちすべての受洗者は、このようなイエス様の最高の愛を受けとるために、洗礼の恵みをいただきました。そして、その愛に生かされ続けています。
復活の主に出会ったときのことを今一度想像し、思い起こしましょう。幼児洗礼であれ成人洗礼であれ、ひとり一人の受洗は、その一つ一つが復活の主イエスとの出会いの場、主との愛における一致の実現です。その出会いと一致によって私たちは主の復活のいのちに与かり、もはや失われることのない永遠のいのちに生きる者となったのです。ですから、目に見えている自分の姿は、老いや病、過ちや罪、不誠実や虚飾などによって愛といのちの危機に瀕しているかのように見えても、決して滅び去ることはないのです。わたしの弱さの中にこそ、復活の主の愛の力は発揮されるからです。
私たち受洗者にとって、最も大切なお方の姿を見失ってはいけません。主イエスが十字架の苦難と死の暗闇を通って復活し、新たないのちに輝たように、私たちは常に新たないのちの輝きを身にまとう者となっているのです。なぜなら私たちひとり一人がキリストの神秘体なのですから。
洗礼によってキリストの死と復活にあずかった私たちは、聖パウロと一緒にこのような信仰宣言ができるでしょう。「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。」(ガラテヤ2:20)。
さあ、また、希望をもって新たに歩み始めましょう。常に新たにされるキリストのからだに属する者としての歩みを、復活の主の美しさを身に帯びた者としての歩みを、御父への道を、希望のうちに。
お告げの祈り
主のみ使いのお告げを受けて、
マリアは聖霊によって神の御子を宿された。
〔アヴェ・マリアの祈り〕
アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、
主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、
ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母聖マリア、
わたしたち罪びとのために、
今も、死を迎える時も、お祈りください。
アーメン。
わたしは主のはしため、
おことばどおりになりますように。
(引き続き、上記の〔アヴェ・マリアの祈り〕を唱えます。)
みことばは人となり、
わたしたちのうちに住まわれた。
(ここでも〔アヴェ・マリアの祈り〕を唱えます。)
神の母聖マリア、わたしたちのために祈ってください。
キリストの約束にかなうものとなりますように。
祈願
神よ、み使いのお告げによって、御子が人となられたことを
知ったわたしたちが、キリストの受難と十字架をとおして、
復活の栄光に達することができるよう、恵みを注いでください。
わたしたちの主イエス・キリストによって。 アーメン。